晩秋の低い太陽が苔むした千杵坂の表面を舐めるように照らしている。
緩やかな傾斜の階段坂は泉鏡花の小説に「身を起こして、坂また少し攀じ石段三十五段にして・・」とある、当時のままの35段。
藩政期の終わりごろ、此処ら辺一帯を民衆の娯楽の場に整備する藩主の計画に喜び勇んだ人々が、手に手に杵を持って突き固めて出来たこの坂は(自主的に労働を買って出たそうだ)他の、例えば多くの寺社仏閣の山門に続く石段坂とは違う、大らかで柔らかい味わい。
緩やかな傾斜面にユッタリとした階段幅、段も低く、上り傾斜が付いて(一つ一つの面が坂・・・というカンジすらある)全体的にアバウトなムードが漂うけど、そこは人々の生理によって決定された造りなのだろう・・・とても登りやすい。
坂を登り切ったトコロは日暮ヶ丘。三方が崩れてしまい随分狭くなったそうだけど、当時はたいそう繁盛した茶店があって大いに賑わった場所。
今は東屋と梅林のある、ちょっと眺めのよいささやかな台地でしかない・・・
晩秋の香りが満ちる中、磨り減った石段を登り当時の往来を、その先にあった賑わう日暮ヶ丘を夢想するのはちょっと楽しい。2011年11月26日14時29分撮影
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晩秋の香りが満ちる中、磨り減った石段を登り当時の往来を、その先にあった賑わう日暮ヶ丘を夢想するのはちょっと楽しい。2011年11月26日14時29分撮影